『ピーターパン症候群』

主に私、致知のふと考えた事を書き綴って居ります。極論故、無理に理解は求めません。
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昨日と明日の間には何も無い。
最近考えることをしなくなった気がします。

楽しく過ごしているという今の現状は
それはそれで善いのだけれど
自分と向き合うこと
深くよく考えること
が減ってしまったことが寂しいですね。
禍言
人は善いものね

と想うも束の間に


娘「見限る!」


他愛も無い虚言に

日進月歩

衰退


急流下りて

しとしとと泣く。
最近一人称を「私」と書く癖がついてしまいました。。。
実習の所為でしょうか…?




ちょこちょこと更新すると宣言したのに
何だか私が遠のいてしまいました(汗)

実習へ行き

小学生とふれあい

実習から帰り

しばらく体調崩し

遊びまくってました。



私の周りで
人付き合いが不得手な人が居まして
前回の日記は
その人を見ていて思ったことを書いたものです。

「自由に生きている人を見せてあげること」ですか…。

僕はどうも周りから
「自由(過ぎるほど自由)に生きている」と思われているようで(笑)、
そういうふうによく云われるので
取り敢えず
これからもその人と関わって
「僕」を見せてみようと思います。

まぁその人は
現状から抜け出したいと思いつつも
「自分には出来ない」という考えに
取り付かれ過ぎてしまっているのが
難しいところなのですが。。。

因みに
過換気症候群持ちで
少し前…私が実習に行ってた間に
自律神経失調症にもなってしまったようです。



吐愛さんが迷惑とかあり得ません!

また是非いらしてください♪

一応ケータイからも見れるみたいです^皿^(煩
作られた「者」を変えるのはとてつもなく難しい。
人と人との関わりは難しい。


築かれた人格は

もう

その人にとって

(気付かなければ絶対的に)

正しいもので


他人から見て

(時に自分から見た場合にさえ)

間違っていても


簡単に変えられるものではない。


自分を意識化することは

無意識に行動し生きている私たちには

なかなか出来ない。


そもそも

何が正しく、

何が間違っているのか、、、

それを判断することが難しい。


私の思う正しいことは

私が作られてきた中で正しいと判断し得ることで

他人の思う正しいことは

他人が作られてきた中での正しいと判断し得ることである。


それらは決してイコールではない。


人は人の中で生きていく。

人の中で自分を作り

そうして作られる

「自らの思う正しさ」により生きる。



気兼ねなく人と接する中で重要なのは

この人はこうしてくれて当たり前

という期待である。


「そのリモコン取って?」

「美味しいケーキのお店、教えて?」

全て

応えてくれて当たり前という思いがある。


それが

人と人との関わりの中では

当たり前に存在している。


しかし

中には

その当たり前が当たり前ではない人が居る。



取ってほしいと頼んだら迷惑かもしれない。

教えてほしいと頼んだら怒られるかもしれない。


他人には気にもならないような要求を

過度に気にし

わざわざ顔色を窺いながら頼む。


「人に拒まれたくない」

「人によく思われたい」

という思い故の行動であるが

「当たり前」の関わり方をしている人にとって

それは違和感を感じるものである。


人は

人と関わる時

対等である為に

同等のものを返そうとする。


簡単に云ってしまえば

「この前奢ってもらったから今度は奢ろう」

…そんなものだ。


距離のとり方、

好意の示し方も同様で


好意的に接すれば

相手も好意的に接してくる


嫌悪感を持っている相手は

自分にも嫌悪感を持つ


というようなことである。


そのようなやり取りが無意識的に行われている中で

顔色を窺いながら頼み事をする

ということは

自分との心的距離をあまり近いものとは感じていないのだ

と判断される。


そして

これが続くと

相手は私と仲良くする気がないのだ

と判断される。


しかし

やはり

どうしても

当たり前を当たり前と感じられない人たちは

うまく出来ない。


彼らは

心的距離を感じ取るのが下手であり

どこまで相手のテリトリーに入っても良いのかが

わからないのである。


そこで

無難な社会的距離の位置から接することを徹底し

近付く人々を自ら離してしまう。


こうして

「人から拒まれたくない」

「人に良く思われたい」

という思いにより

自ら他人を遠ざけ

それに気付かず

またその思いを強くする


そんな悪循環に陥る。



彼らには


自分との心的距離をはっきりと教え、


「してもらえて当たり前」であることが沢山あることを

体験させ、教えることだ。


これらは

対等であることが容易である方が

行いやすいだろう。





ここまで長々と書いたが

これらは私の考えである故に

気になる部分もあると思う。

訂正、反論など何かあれば是非聞かせてほしい。
心理査定
心理アセスメントの授業。

今の私は仮面らしい。

外面を気にして墓の全てを押し込めて居るような状態だと云われた。

もっと…人を楽しませるより、
自分の好きなこと…自分の楽しいと感じることをすべきだと云われた。

人の顔色を窺って
っていうのは
確かにある。


しかし
今でも好き放題やっている筈だ。

何故なのか。

方向性が間違っているのか、
踏み込めてないのか。。。



結果から出た「哀れな私」は
正直存在してる部分だと
自分でもわかってたから笑った(笑)






結局私は自己評価が低過ぎるのです。
人からの評価が低い私をどうして私自身が高く評価できましょうか。
今はそれをどうにかすることに精一杯です。












私は誰にも仮面無しの私を見せたことはないと思う。
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